3D映画「アバター」がヒットした理由

映画「アバター」が大ヒットしている。自分も見に行ったけど、確かにおもしろい。なぜこんなにヒットしたのか、と考えてみると、やっぱり「3Dであること」がいちばんの要因なのかな、という気がする。でも、ほんとうにそれだけなのか?と。3Dの映画はアバター以外にもあると思うのだけれど、そのどれもいまいち話題になっていない。ということは、3Dならいいっていうわけではないのだろう。じゃあ、なんでアバターはこんなにヒットしてるのか、を考えてみた。

気をつけてはいますが、若干ネタバレかもしれないのでご注意ください。


その理由としてとりあえず思いつくのは、映像の美しさや迫力がすごいこと、ストーリーが分かりやすいこと、3Dによるかつて無い臨場感、という点。アバターはこれらの要素を持っている。だからヒットしたのだろう。でも、じゃあ他の3D映画がこれを持ってないのか?というとそういうわけでもない様に思う。たとえば「カールじいさん」なんかはこれらを十分持ってるんじゃないか(自分見てないけど、見に行った人の話によると)。ということは、アバターにはそれだけじゃない何かがあるんだろう。

たぶんそれは、「アバターは3Dである必然性があったから」じゃないかと思っている。

まず、3Dで映画を作る以上、3Dならではというか3Dでなきゃいけない、という要素が必要なんじゃないかろうか。少なくとも制作側はそういうことを考えるだろうし、それがないと「ああ、立体的に見えてすごいね。でもこれ3Dでなくてもいいんじゃね?」とか言われてしまうだろう。

アバターは映像の迫力、臨場感は、それだけでも十分すごい。でもそれで終わりじゃなくて、「3Dであること」に意味を持たせるために、映画の内容的に3Dでなければならない仕掛けを盛り込んであるように思う。たとえばストーリーとか世界観、設定に3Dであることの意味を盛り込んである。そうやって、3Dである必然性を生みだしてる。アバターはこのあたりがとてもうまくできているんじゃないか。

その仕掛けというのは、「映画の主人公と観客とが同じ体験をする」というもの。

この映画の主人公は足が不自由である。そして、アバターというもう一つの体を遠隔操作してパンドラという星の原住民の中に入り込んでいく、という設定になっている。ようするに、主人公がアバターを通して、別世界を今までにないほどのいきいきとした感覚で体験する。生身の体では足が不自由だから、そういう体験はできない。
一方、この映画を観ている観客の方はというと、こちらも3Dメガネを通して今まで経験したことの無いような立体映像を体験する。それによっていままでにない臨場感でパンドラという別世界を体験する。いままでの2D映画では平面にしか見えないから、そういう体験はできない。
このように、映画の主人公と観客とが「いままでにない世界をいきいきと体験する」という共通の体験をするようになっている。それによって、観客がよりいっそう主人公に感情移入しやすくなるように仕掛けられているのではないだろうか。

体験を共有しているからこそ、観客が主人公と同じようにパンドラの世界の生物に驚いたり、主人公と同じようにパンドラの先住民ナヴィの生活に共感したりしやすくなる。青い体の宇宙人たちと仲良くなることにも違和感がなくなるし、彼らの考え方に共感する主人公と同様に、観客も彼らに共感して映画により入り込むことができるようになる。

こういう仕掛けのためにこそ、アバターは3Dでなくてはならなかったし、こういう設定であるべきだったのだと思う。で、この仕掛けがうまく働いたからこそ、これだけの大ヒットにつながったんじゃなかろうか。



新しいものを世に出すときは、その必要性が分かるように、きちんと受け手に伝えなければ失敗に終わる可能性が高い。うまくやらないと「なんだ、こんなものか」で終わってしまい、その先がなくなってしまう。きちんと受け手に伝えるには「これでなくてはならない」という、必然性が必要。
3D映画はアバターによって、この「必然性を伝える」というハードルを越えたといえる。今後は3Dが映画の主流になっていっても不思議は無いと思う。



アバター 公式完全ガイド
マリア・ウィルヘルム ダーク・マティソン
イースト・プレス
売り上げランキング: 523
おすすめ度の平均: 3.5
5アバター」の舞台"パンドラ"の設定がより理解できる一冊
2 映画のガイドではない
4 映画が気に入ったなら、アリです