3D映像の課題3 表現上の課題

前回前々回で、3D映像の課題としてその原理的なものと、視差の調整に関わるものについて考えてみた。今回は3D映像の表現上の課題について考えてみる。


映画「アバター」の評判とか課題をネットで調べていたら、次のような意見を見かけた。

どちらも3D映像の違和感に関するものだが、これらは映画の表現の都合上発生している現象だと思う。

3D映像とフィルムジャダー

まずフィルムジャダーとは何かについて。そもそも映画というのは1秒間に24コマの静止画を連続して表示することで動画として見せている。一方、あたりまえだけど自然の風景はコマになっているわけではなく連続した映像になっている。コマ数が無限大だともいえる。となると当然、自然の風景に比べて映画の方はコマ数が少ないため、物の動きが若干ギクシャクしているように見える。これがフィルムジャダー。何気なく見ているとなにも感じないかもしれないが、左右にスクロールしていく映像などをよく見ると分かったりする。ギクシャクするとは感じなくても、なんとなく動きに違和感があるように感じることもある。

余談だけど、テレビの映像は毎秒60コマなので、映画よりもギクシャク感は少ない。でも映画をテレビで見ると、もともと24コマしかないものを、同じコマをコピーしたりして60コマに増やしてあるだけなので、やっぱりギクシャク感を感じる。あと最近はテレビドラマなどでも映画のフィルムっぽさを出すためにあえて24コマで撮影したりしているものもあるようだ。普段テレビを見ていて、バラエティ番組などと比べて、映画やドラマはなんとなく動きが普通と違うな、という感じに気付いている方もいるかと思う。

で、3Dでない、ふつうの2Dの映画では、このギクシャクが問題だといわれたりもするが、逆にこれこそが映画の画質なんだ、としてありがたがられることもある。つまりフィルムジャダーは映像表現の一環と考えることもできる。なので、フィルムジャダー自体は賛否両論あるけれど、絶対ダメというほどの問題ではないと思う。2Dの場合は。

では、このフィルムジャダーが3Dになるとどうなるか。たぶん単に3D映像の動きがギクシャクするだけだろう。が、これがことのほか違和感につながる場合があるようだ。それが、先の記事で言われているようなこと。せっかく3Dにして臨場感を増しているのに、動きが普通と違うとそこの違和感が強調されるのではないか、というもの。たしかに考えてみれば、3Dになることで実際の風景に近づいたのに、動きが実際の風景にはありえない24コマだとなると、2Dで見てるよりかえって違和感が増すということはあるのかもしれない。

けれども、この違和感も含めて映画なのだという考えも分からなくはないし、3Dでもそれは同じなんじゃなかろうか。2Dの場合は映像が24コマであることで独特の雰囲気がある映像になる。3Dでも同じ効果はたぶん得られるんじゃないか。それをいいと思うかどうかは好みの問題だろう。(もしかして3D+24コマだとなにか立体映像として欠陥があるのかもしれないが、映画を見ただけではそこまでは分からなかったので、そこはよく分からない。)

というわけで、フィルムジャダーの問題はある意味表現上の課題といえる。24コマの動きが嫌なら60コマで撮影してそのまま上映すれば解決する。技術的には特に難しい点はないだろう。テレビでは60コマの3D映像はすでにできていることだし。どちらを選ぶかは制作側の考え方次第なんじゃなかろうか。

3D映像とカメラフォーカス

次に、カメラのフォーカスと鑑賞者のフォーカスがあっていないという問題。これもたぶん3D映像における表現上の問題といえる。
2Dの場合は、カメラのピントが合っている場所を調節することで立体感を演出したりする。また、主に見せたい被写体以外のピントをわざと外して、被写体を印象的に見せる演出も行われたりする。3Dの場合でも同様に、カメラのフォーカスを調整して見せたい被写体を引き立たせるような演出ができると思う。ところが3Dの場合、これが逆に問題になることがある。

人が自然の風景を見る場合、その風景の中のどこでも好きなところを自由に見ることができる。見たいところに目のフォーカスが合うので、どこでも好きなところをくっきりと見ることができる。が、3D映像の場合、カメラのピントがあっているところと合っていないところがあり、当然ピントの合っていないところはどんなに頑張って目のフォーカスを調整してもくっきり見ることができない。3D映像はカメラのピントがあってないのか、自分の目の調節ができていないだけかがすぐには判別できないように思うので、見えると思って頑張っても結局見れないということがある。このことがストレスに感じたり、違和感になったりして、見る人に負担をかけることになる。

これを防ぎたければ、カメラで撮影するときにパンフォーカスで撮影して、画面全体でピントがあっている状態にすればいいはず。そうすれば見る側が見たいところを自由に見ることができるので、先の問題は解決する。

が、3D映像でピントの合う位置を絞っているのは、3Dの立体感への違和感を軽減する狙いもあったりする。これは「ピントの合っているところ以外は見ないで欲しい」ということ。前回のエントリでも触れたが、立体感に違和感をもたらさないためには左右の目の見え方のずれ=視差の調整が重要だ。けれども、画面全体の立体感を適切にできるような視差の調整はきっととても難しい。視差の調整にも限界があるからだ。視差がちゃんと調整できたところを見ていれば問題ないが、できてないところを見てしまうと違和感を与えることになる。だから、視差を最適に調整できているところにだけピントを合わせて、見る人がそこに目線を合わせて映像を見てくれるように誘導している。

結局、画面全体にピントを合わせて見る人がどこでも自由に見れるようにするのか、見せたいところだけにピントを合わせて立体感を自然に見せるのかは、映像制作側の判断次第だろう。どういう表現をしたいのかによって決まる問題だと思う。

まとめ

3D映像のフレームレートとフォーカスについてどういう課題があるかを考えてみた。これらの課題は、映像の制作者がどういう表現をしたいのかによって、どういう対策を採るかが決まってくるはず。
3D映像の表現にはこういう問題があるということを意識していると、見ている側も制作者の意図をよりはっきりと理解できるかもしれない。




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