Google BuzzでGoogleがやりたいこと
先日のエントリで、Google Buzzについて調べてまとめてみた。Google Buzzの狙いは、twitterはじめいろいろなソーシャルサービスを統合してしまうことと、情報のフィルタリングを自動化してしまうことのようだった。これらが実現したらどうなるだろうか?
twitterなどのような、ミニブログと言われるようなサービスが統合されたとすると、メッセージをpostするのに「どのサービスを使うか」はあまり意味がなくなる。すべてオープン化されて統合されているなら、twitterにpostしようが、Google Buzzにpostしようが、結局は両方のサービスのメッセージを受け取ることができるから。ちょうどメールを使うのにどこのサーバを使うかはたいして意味が無いのと同じような感じ。サービス自体はインフラになって目立たなくなる。
その代わり、どのクライアントを使うか?が重要になってくる。便利な機能のあるものや、使いやすいものが多くのユーザーに選ばれて使ってもらえるようになる。
そうなったときに、Googleの技術力が強みとして効いてくる。ユーザーの好みに合わせたノイズフィルタリングのような、Googleにしかできない機能を実装したクライアントが、他との差別化をはたしてユーザーを獲得していく。
ミニブログサービスを統合&オープン化したうえで、独自の機能をもったクライアントで勝負する。つまり、特定のプレーヤーに囲い込まれていない誰でも参加できる土俵で、だれにもまねできない機能を実現してみせることでユーザーを獲得していく。Googleが考えているのはそういう戦略なんじゃなかろうか。
3D映画「アバター」がヒットした理由
映画「アバター」が大ヒットしている。自分も見に行ったけど、確かにおもしろい。なぜこんなにヒットしたのか、と考えてみると、やっぱり「3Dであること」がいちばんの要因なのかな、という気がする。でも、ほんとうにそれだけなのか?と。3Dの映画はアバター以外にもあると思うのだけれど、そのどれもいまいち話題になっていない。ということは、3Dならいいっていうわけではないのだろう。じゃあ、なんでアバターはこんなにヒットしてるのか、を考えてみた。
気をつけてはいますが、若干ネタバレかもしれないのでご注意ください。
その理由としてとりあえず思いつくのは、映像の美しさや迫力がすごいこと、ストーリーが分かりやすいこと、3Dによるかつて無い臨場感、という点。アバターはこれらの要素を持っている。だからヒットしたのだろう。でも、じゃあ他の3D映画がこれを持ってないのか?というとそういうわけでもない様に思う。たとえば「カールじいさん」なんかはこれらを十分持ってるんじゃないか(自分見てないけど、見に行った人の話によると)。ということは、アバターにはそれだけじゃない何かがあるんだろう。
たぶんそれは、「アバターは3Dである必然性があったから」じゃないかと思っている。
まず、3Dで映画を作る以上、3Dならではというか3Dでなきゃいけない、という要素が必要なんじゃないかろうか。少なくとも制作側はそういうことを考えるだろうし、それがないと「ああ、立体的に見えてすごいね。でもこれ3Dでなくてもいいんじゃね?」とか言われてしまうだろう。
アバターは映像の迫力、臨場感は、それだけでも十分すごい。でもそれで終わりじゃなくて、「3Dであること」に意味を持たせるために、映画の内容的に3Dでなければならない仕掛けを盛り込んであるように思う。たとえばストーリーとか世界観、設定に3Dであることの意味を盛り込んである。そうやって、3Dである必然性を生みだしてる。アバターはこのあたりがとてもうまくできているんじゃないか。
その仕掛けというのは、「映画の主人公と観客とが同じ体験をする」というもの。
この映画の主人公は足が不自由である。そして、アバターというもう一つの体を遠隔操作してパンドラという星の原住民の中に入り込んでいく、という設定になっている。ようするに、主人公がアバターを通して、別世界を今までにないほどのいきいきとした感覚で体験する。生身の体では足が不自由だから、そういう体験はできない。
一方、この映画を観ている観客の方はというと、こちらも3Dメガネを通して今まで経験したことの無いような立体映像を体験する。それによっていままでにない臨場感でパンドラという別世界を体験する。いままでの2D映画では平面にしか見えないから、そういう体験はできない。
このように、映画の主人公と観客とが「いままでにない世界をいきいきと体験する」という共通の体験をするようになっている。それによって、観客がよりいっそう主人公に感情移入しやすくなるように仕掛けられているのではないだろうか。
体験を共有しているからこそ、観客が主人公と同じようにパンドラの世界の生物に驚いたり、主人公と同じようにパンドラの先住民ナヴィの生活に共感したりしやすくなる。青い体の宇宙人たちと仲良くなることにも違和感がなくなるし、彼らの考え方に共感する主人公と同様に、観客も彼らに共感して映画により入り込むことができるようになる。
こういう仕掛けのためにこそ、アバターは3Dでなくてはならなかったし、こういう設定であるべきだったのだと思う。で、この仕掛けがうまく働いたからこそ、これだけの大ヒットにつながったんじゃなかろうか。
新しいものを世に出すときは、その必要性が分かるように、きちんと受け手に伝えなければ失敗に終わる可能性が高い。うまくやらないと「なんだ、こんなものか」で終わってしまい、その先がなくなってしまう。きちんと受け手に伝えるには「これでなくてはならない」という、必然性が必要。
3D映画はアバターによって、この「必然性を伝える」というハードルを越えたといえる。今後は3Dが映画の主流になっていっても不思議は無いと思う。
Google Buzz って何? に関するまとめ
Google新しいサービス「Google Buzz」を開始した。Gmailと統合された形でtwitterのようなことができるらしい。このGoogle Buzzがどういうものなのか調べてみたのでまとめておく。自分で使ったことは無いので、あくまで調べたことのまとめです。
Google Buzzの機能、特徴
Google Buzzの機能として、以下のようなものがあるらしい。
使い勝手の向上に関するもの
モバイルでのメリットを向上させたもの
他サービスとの連携
情報の整理に関するもの
- Gmailでよくやりとりをする相手を自動的にフォローする
- 興味が無さそうなものは自動的に除外されて、折りたたまれた状態になる
- 面白そうなものは「おすすめ」してくれる。学習型のレコメンド
どうもぱっと見だと、Google Buzzはtwitterに足りない機能をいろいろ追加したもの、というように見える。使い勝手の部分はtwitterクライアントでそういうのがありそうな気もするけれど、モバイル機能はセカイカメラ的な要素を取り込んでて面白そうだ。
他サービス連携とか、情報整理についてはGoogle Buzz独自のように思う。ここらへんがGoogle Buzzの他サービスとの差別化ポイントであろう。
GoogleがGoogle Buzzでやろうとしていること
つぎに、GoogleがGoogle Buzzでやろうとしてることは何なのか?について。いろいろな人が語っているのをまとめてみる。
Googleのソーシャルサービス強化の取り組み
ソーシャルなものを統合しようとする取り組み
- ユーザがその都度メールとバズとIM(チャット)のどれかを選んで使い分ける状況をなくしたいと考えている
- 「今はなんでも、正しい選択をするということが、ストレスになっている。だから、あまり選ばなくてもいいようにしてあげることも、重要だ。メディアは何を使う?、誰に送るべき?、etc., etc. …人びとはこんな選択にいつも悩まされる。」Sergey Brin(Google創業者)のコメント。
- 将来的には、業界標準の技術を採用し、データを他社とどんどん共有していく考え
- 業界標準に準拠するサービスとなら自由自在にメッセージをやりとりできるようにし、電子メールのサービスとも、メッセージのやりとりを可能にする、という方向性でGoogleは考えているのではないか
- 「日本で、アメーバなうや、greeひとこと、などのTwitter風サービスが続出した際に、「Twitterと競合する」とか「ネットが分断される」という意見があった。僕はそのときに「全然心配ない。すべてのサービスは同じ標準技術で相互にコメント出来合うようになるし、そうしない後発サービスは生き残れない」というようなことを書いたんだけど、実際にそういう方向に進み出しそうということだ。」Google Buzzはサル真似、それとも革命? | TechWave(テックウェーブ) より
情報の取捨選択を自動化する取り組み
- 大量に流れてくるソーシャルな情報のなかから必要なものだけを抽出する取り組みはまだ誰もやろうとしていない。Googleはそれをやろうとしている
- 「情報のS/N比を上げることがうちの強みの一つだ。検索でも毎日、それに努力している。個人のコミュニケーションも、今では検索なみのスケールに達しているから、やはりS/N比の向上が何よりも重要だ。」Sergey Brin
- 「今のところはみんな、ノイズを我慢しながらいろんなレコメンデーションシステムを使っているのだ。今後必要な、今はまだない技術は、レレバンス技術(relevance technology, 人や状況に合った適切な情報を得るための技術)とでも呼ぶべきものだ。たとえばそのユーザはどんな記事が好きか、どの記事にコメントを書いたか、どれを読んでどれを読まなかったか、…などのデータを、今集めようとしている。最終的には、各ユーザが本当に関心を持つような情報集合を提供できるようになるだろう」Sergey Brin
サービスを統合して境界をなくそうとしていることと、情報の整理や取捨選択を自動化すること、がGoogleのやろうとしていることとしてあるようだ。機能面のGoogle Buzzの差別化ポイントとあわせて考えると、確かにこういう方向性を目指しているように思う。
Google Buzzの疑問点
最後に、Google Buzzが成功するかどうかの疑問点について。
- Googleの過去と同様、ソーシャルグラフのあるべき姿を見誤っているのではないか
- ソーシャルグラフ(人と人の結び付け方、フォロー関係みたいなものか)を自動的に生成する仕組みの考え方が本当に正しいのかどうか
- 自動的に繋がりのある人を選んでくれるのはいいが、その人は上司だったり、友だちではない誰かかもしれないので、ユーザーが本当につながりたい人なのかどうか不明で、単なるおせっかいになるかもしれない
- twitterに比べて複雑だ
- Twitterが成功したのは簡単だから。自分のつぶやきはフォローしている人全員に送られるが、Buzzはそれほど単純ではない
- Gmailユーザーがこれを受け入れるか
- GmailのユーザーとGoogle Buzzのユーザーは共通してないのでは?
- 情報の取捨選択はほんとに必要なのか?ノイズをノイズだからと切り捨ててしまっていいのか?
- 「「○×なう」なんて、つぶやいた本人にすらノイズにすぎない。しかしノイズを流すことに寛容であることによって、シグナルなのかノイズなのか本人にもまだわかっていない「何か」をそこに書くことにも躊躇しなくなる。そのうちのいくつかは誰かにとってのシグナルとして扱われ、それがRTを通して共鳴することでシグナルは増幅される。」404 Blog Not Found:Google Buzz がただの buzz で終わる(かも知れない)理由 より
ようするに、フォローを自動的にやってくれる点だったり、レコメンド機能だったり、自動でノイズを除去する機能だったり、そういうGoogleが独自の差別化ポイントにしている「自動」の部分が、ユーザーの意思と反しているのではないか?というところが、このサービスが成功するかどうかのポイントになっている模様。
自動でいろいろやってくれるのはいいが、それによって「楽しさ」が失われているんじゃないか、というのはたしかにそうかもしれない。twitterの楽しさは、情報収集だけではなくて、どうでもいい情報のやりとりによる、ある意味「馴れ合い」みたいなものもあるのだと思う。Google Buzzのように自動で取捨選択されてしまうと、馴れ合いを楽しむものにはなりえないので、twitterと競合することはきっとない。
一方、Google Buzzは情報収集にとっては強力なツールになりうる。twitterのタイムラインや、その他サービスを全部集約してノイズはフィルタリングし、おすすめ情報があれば提示してくれるような、そういう使い方ができるようになるんだろうから。時間が無いときにはいいかもしれない。それが楽しいかどうかはべつとして。
参考
- Google Japan Blog: コミュニケーションをさらに豊かに・・・ Google バズがいよいよ登場
- Google Waveが未来なら、Google Buzzは現在だ | TechCrunch Japan
- 「Google Buzz」──Gmailが取り込むカジュアルコミュニケーション - ITmedia NEWS
- 「うちはもうやっている」――MicrosoftがGoogle Buzzにコメント - ITmedia NEWS
- Sergey BrinがGoogle Buzzを半年使った経験を語る(ビデオと記者会見記事) | TechCrunch Japan
- Google Buzzはサル真似、それとも革命? | TechWave(テックウェーブ)
- 404 Blog Not Found:Google Buzz がただの buzz で終わる(かも知れない)理由
4倍速液晶テレビの本当の効果
テレビはコマ数が増えるとなめらかになる。
4倍速でコマ数4倍。
上のコピーはソニーの液晶テレビ「ブラビア」の4倍速搭載モデルのもの。4倍速って何?という疑問に簡潔に答えるコピーである。もっと詳しくは、こちらでも解説されている。4倍速は普通のテレビの4倍のコマ数だから、映像がなめらかになるよ、ということがとてもわかりやすく説明されている。
この説明、わかりやすいのはいいのだけれど、同時にものすごく違和感がある。間違ってないけど、正確じゃない、という説明だと思う。そのへんをいろいろと書き綴ってみる。
なめらかさのためには4倍速は必要ない
いきなり言ってしまうと、4倍速の目的は映像をなめらかにすることじゃなくて、動画ボケを軽減すること。でもソニーの説明では、なめらかにすることが目的のように言っている。ここが違和感。
実は、映像のなめらかさのためなら、4倍速(毎秒240コマ)も必要ない。ブラウン管テレビと同じ、1倍速(毎秒60コマ)で十分だ。実際、ブラウン管のテレビを見ていて「動きがカクカクする」とか「ぎこちない」とか思うことってないはず。ちゃんと動きがなめらかに見えるように考慮して、テレビの映像は毎秒60コマで送るように決められているのだから、表示するときも毎秒60コマで十分なめらかに見えるのだ。
ソニーのサイトの4倍速説明動画では、スローモーション映像で4倍速と1倍速の比較をしている。それで60コマでは動きがカクカクすると言っているけども、そりゃスローで見たらそうなるのはあたりまえ。実際テレビの映像はスローで見るわけじゃないから、この比較はちょっとフェアじゃない。
つまり、4倍速で得られる映像の「なめらかさ」は、完全にオーバースペックで不要なものなのである。まあ、なめらかであると言えば確かにその通りだけど、そのなめらかさを認識できる人間はいない、と思う。
なんのための4倍速?
じゃ、4倍速って何のためにあるのか。それは先にちらっと述べたように、映像をなめらかにすることじゃなくて、「動画ボケ」*1を軽減するためだ。
「動画ボケ」というのは、液晶テレビの弱点としてよく言われているもので、映像が動いたときに物の輪郭がぼやけてしまう現象のこと。止まっているときにはくっきり見えていたものが、動いた途端にぼやけて見えるたりする。よくあるシーンだと、テレビ番組の最後に流れるスタッフロールとかの、横スクロールするテロップで起こる。*2
で、動画ボケを解消するにはどうすればいいかというと、映像の1コマ1コマが表示されている時間を短くすればいい。テレビの映像は毎秒60コマだから、そのままだと1/60秒の間同じコマが表示される。この表示時間をもっと短くするのだ。
方法のひとつは、ソニーの4倍速のようにコマ数を増やすこと。4倍速だと毎秒240コマになるので、1コマの表示時間は1/240秒になり、60コマのときの1/4になる。
もうひとつの方法は、1コマが表示される1/60秒のうち一瞬だけコマを表示して、残りの時間は画面を真っ暗にする方法。これはインパルス駆動と呼ばれている。ちなみにブラウン管テレビはこの方法で映像を表示しているので、動画ボケは発生しない。*3
この2つの方法のどちらでも動きボケを軽減することが可能。ようするに、4倍速は動きボケ軽減のための技術、と言うほうが、説明としては正しいはずだ。
なんでなめらかさを謳うのか
じゃあなぜソニーは4倍速で「なめらか」と説明するのか。想像してみると2つ思い当たる。
ひとつは、動画ボケの説明が難しいこと。4倍速による動画ボケの改善は実際に見てみれば一目瞭然に分かるのだけど、それを言葉で説明するのはとても難しい。ましてやその原理まで説明しようと思うとまた一段と難しいし、多くのユーザーに理解してもらうのも大変。CMや短いキャッチコピーでそれをやるのはほぼ不可能。だから、「コマ数4倍でなめらかですよ」と説明した方が、わかりやすくていいということかもしれない。
もうひとつは、インパルス駆動との差別化を図りたいから、ということが考えられる。「インパルス駆動と4倍速とは違うものだ」ということを印象づけたいのかもしれない。4倍速でもインパルス駆動でも動画ボケを軽減するのは同じ*4。で、インパルス駆動は4倍速に比べて簡単に実現できるので、他社が採用してくる可能性が高い。そうなったときに、「ソニーの4倍速は他社のインパルス駆動とちがって、なめらかになっていいんですよ!」と訴求したいのかもしれない。
それでいいのかソニー?
「コマ数4倍でなめらか」は、説明としては嘘ではないし、わかりやすいのだけど、それでいいの?と思ってしまう。
4倍速を開発した技術者たちはこの売り文句に納得してるんだろうか、と。4倍速を実現させるのは、技術的にハードルが高くて難しいはず。苦労して開発したものは、どう頑張ったのかちゃんと伝えて欲しいんじゃなかろうか。自分たちが何の課題を解決して、どんな良さを達成したのかって、ちゃんとユーザーにわかってもらいたいんじゃないのかな。「なめらかにする」んじゃなくて、「液晶の逃れられない欠点である動きボケを改善したんだ!」って。
まあでも、わかりやすいのも大事なんだよね。難しいこと言って伝わらなかったら意味がないから。技術を伝えるのはほんと難しいのです。
知識の蓄積を疎かにするとあとで痛い目見るよ
http://d.hatena.ne.jp/keitaro2272/20091213/1260653984
気持ちはとってもよくわかる記事を見かけた。その記事で言われていることをまとめるとこんな感じ。
- 将来使わないであろう知識を詰め込むのは時間の無駄だし苦痛なだけだからやめよう
- 自分から進んで学習するように仕向けよう
- そのためには知識をどうやって社会の役に立たせるかを教えよう
つまり、指摘している問題点は「学習の無駄」ということ。将来使わない知識の詰め込み教育と、それによって間違った「知識偏重の優秀な」人材が生産されることの無駄を問題にしていると思う。実際自分も昔は学校の授業を受けてて「古文とか何の役に立つんだよ?」と思ってたw
この記事を読んで考えたことがいろいろとあるので、ちょっとまとめておく。
知識偏重ではこれからやってけない
そもそもなんで知識偏重がいけないのか?を考えてみる。
これからの社会では、今までのような単なる知識詰め込みの教育ではやっていけないだろうな、ということは確かに感じる。というのも、日本の産業構造が昔とは変わってきているから。
今までの日本は、アメリカとかよその国で発明・開発された製品を取り込んで(悪く言えばパクって)、それをより高品質かつ高性能なものに仕立て上げることで価値を向上させてお金を儲ける、というビジネスモデルだった。車とか家電とか半導体とか、たいていのメイドインジャパン製品はそうだったと思う。基本的に、新しいものを生み出すというより、すでにあるものを改良する、という考え方でやってきた。創造より改良。製品をどう作ればより高品質になるか、という、How to makeを追求したものづくりで勝負してきた、と言える。
でも最近は、中国、韓国をはじめとするアジア諸国の技術力が上がってきて、日本製品と同等の品質で製品を作ることができるようになってきた。しかも安い人件費で。こうなると日本製品の競争力が危うくなってくる。品質で同等かつ値段は安いという競合が出てきてしまったから。半導体はもう負けてしまってるし、家電もどんどん追いつかれてる。車も今後は分からない。
だから日本はいま、「どう作るか?」から「何を作るか?」への変化が求められている。How to makeじゃなくてWhat to make。これができないともうアジアの国々に対抗できない。
こういう状況では、新しいものを創造する能力を持った人材が必要になってくる。持ってる知識を応用して、今までにない製品とかサービスといった価値を創造する力が必要。単に知識を詰め込んだだけの人材では、あまり社会で役に立つことができないだろうな、と思う。それだと中国人、韓国人、インド人とかに勝てないんじゃなかろうか。ちなみにアメリカなんかはもともとWhat to makeなんじゃないかな、と思う。単純なDRAMみたいな半導体じゃなくて新しくプロセッサを作ったりとか、ものづくりをやるよりも新しいITサービスを考え出したりとか。
ようするに、今後必要なのは知識を詰め込んだだけの人材じゃなくて、創造力のある人材、ということ。
学習のフェーズ
じゃあ、どうやったら創造のできる人材を教育できるのか?を考えてみる。
まず、学習には次の3つのフェーズがあると思う。
- 暗記
- 理解
- 応用
ひとつめの「暗記」はただ覚えただけの状態。元記事で言う自己満足のレベル。ここまでだと元記事で言うとおり勉強するのが苦痛だ。学校の成績もある程度までしか上がらないと思う。
ふたつめの「理解」は、覚えた知識の背景にある本質とか原理とか、そういうのが分かるレベル。こう言うとちょっと大げさだけど、ようは覚えた公式の意味とか、歴史上の出来事の背景とか、そういうのまで分かってるレベル。ここまでくると多分そこそこ勉強するのが楽しくなってきて、そんなに苦痛じゃなくなる。学校の成績も一段上に行けるように思う。
みっつめの「応用」は理解した知識を使って、新しいものを創造できるレベル。元記事で言う知識の使い方が分かるようになる段階。ここはもう今の学校教育じゃあまり教えられない段階。自分も教えてもらった記憶がないw*1
創造力のある人材に求められるのはもちろん応用のレベル。
応用を身につけるためには暗記、理解のフェーズが必須
じゃあ、どうやったら応用のレベルまで行けるか? を考える。ここはちょっと元記事とは違う考え。
応用が出来るようになるには、その前の理解のレベルまで達してる事は必須だろう。また、理解のレベルに達するまでには暗記のレベルを超えてこないとダメ。ようするに順番にレベルアップするのであって、いきなり応用に達することはできないんじゃなかろうか。
というのも脳科学の分野の話では、知識と言うのはまず「記憶すること」があって、その次に「記憶したことがつながる」という段階があるらしい。まず「記憶」しないと始まらない。まあ、当たり前といえば当たり前だけど。記憶した段階では単なる知識で、それがつながって始めて役に立つようになる、ということと思う。
これはなんとなく直感でも分かるような話。たとえば方程式の解き方とか、はじめは単にルールを覚えてそれに従って数字を操作してるだけでも、そのうちだんだんやってることの意味が分かってくる。最初から意味わかってやってたわけじゃなかったりする。*2
つまり、苦痛だけれどもまずは暗記の段階を超えないとその先には行けない、ということ。元記事では応用の仕方を教えればそれで学習が楽しくなる、と言っているけれども、応用の仕方はその前の暗記と理解の段階を超えてないとたぶん教えられても分からないだろう。だから、はじめはどうしても知識を詰め込まないと仕方ないんじゃないかと思う。大人になってからの勉強だとすでに蓄積された知識が増えてるので頑張って暗記しなきゃいけない事も減ってくるだろうけど、子供のうちはいろいろ暗記するところからまず入らないといけないんじゃないかな、と思うのである。子供じゃなくても、始めて接する知識だったらまず暗記から入らないとダメかもしれない。
社会で応用するためには専門分野だけでいいのか?
それからもう一つ、将来必要ない知識の詰め込みはやめて、将来必要になる知識だけに集中しよう、というのもちょっと難しいと思う。
まず、その知識が将来役に立つかどうかは事前には分からないから、選別のしようがない。また、自分が必要と思った知識が将来ほんとに役に立つかどうかも分からない。早い段階で絞り込むとそれだけ深い知識にはなるが、そのぶんリスクも高い。まして子供の段階でそれを判断するのは無茶だと思う。
それに、こっちの方ががより重要なことだけど、社会で知識を応用するときに狭い分野の知識だけでやっていけるのか?ということが問題と思う。専門分野の中だけで応用するならいいかもしれないが、もっと広い社会で何かをしようと思ったらより多くの視点が必要なんじゃなかろうか。社会にはいろんな立場や考え方の人がいるわけで、その人たちのことを分かろうと思えば、自分もいろんな視点を持ってないとダメだろう。知識を応用してビジネスしようとするなら、より一層そういういろんな視点が必要になってくると思う。技術者が自分の視点だけで製品をつくったら、無駄にハイスペックでユーザーが欲しい製品とはかけ離れたものが出来上がった、というような状態になるのは防がないといけない。
いろんな視点を持とうと思えば、それだけいろんな知識を蓄積しておかないとダメだろう。なにか新しいものを創造しようとするなら、幅広い視点は必須だろうから、結局は知識の蓄積を怠ってはいけない、ということ。自分の興味のある分野だけでなく、もっといろんな分野の知識がいるんじゃないかと思う。
結局どうするのがいいのか
結局何が言いたいかというと、創造力のある人材には「知識の詰め込みが要らない」んじゃなくて、「詰め込んだ上にさらに応用することまで求められている」ということ。創造力のある人材を育てようと思ったら、まずは「知識の詰め込み」から入る必要があるんであって、そこをすっ飛ばしたら中途半端な人材になってしまうんじゃなかろうか、と思ったりするのである。
学習のためには、知識を詰め込み、っていうと言い方悪いけど、知識の蓄積をしたうえでそれをどう活かすのかを習得しないといけない。けど、知識の使い方は人から教えられるものなのか?という疑問もある。まず学校の先生はこれ知っているのかな?と。たいていの先生は「先生」の経験しかなかったりするだろうから、これを教えるのはあんまり得意じゃないんじゃないか。
あと、たぶんみんなその「知識の使い方」というか「知識の応用の仕方」でいかに価値のあるものを創造するかをめぐって社会で競争してるわけで、教えてもらえるような答えなんてないんじゃないかとも思う。参考になる話は教えてもらえても、結局は自分でいろいろやってみて身につけていくしかないものなのではないかな、と思っている。
結局子供には「勉強しなさい」って言うしかないのかもしれない…。むずかしい…。
と、いろいろ考えてきたけれども、やっぱり古文は学校でやらなくてもいいんじゃないかと個人的には思うw まあ、古文も面白いからいいけどね。
参考
How to meka から What to makeの話はこの本に出てくる。
悪くないテキスト
リーダとして活躍している/したい人に読んでほしい本
内容の濃い良書です
入門・サイドリーダとして
脳科学の話はこちらの本に出てた、ように思う。記憶が確かならば。ちがったらゴメン。
新潮社
売り上げランキング: 2902
う〜ん、ジャンル違うじゃん!
おもしろい対談。
脳は30歳以降、質的に変化する。
これは痛い
プレゼン資料の作り方
学生でも社会人でも、何かしらプレゼンしたり、発表する機会があると思う。そういうときにパワーポイントで資料を作って発表に使うことが多い。このプレゼン資料の作り方と、発表のときの態度によって、内容の伝わりやすさや、アピールの効果がだいぶ違ってくる。
今回たまたま自分がプレゼンを行う機会があったので、プレゼンのときの発表資料の作り方や、発表時のノウハウなんかをまとめておきたいと思う。
発表時間が短い中でなるべくたくさんのことを言いたい、というときにも役立つノウハウになっていればいいな、と思いつつ。
全体の構成について
目次的なスライドは1時間とか長いときには必要だが、10分とか短いときには不要
よく発表のはじめにパワポ全体の目次のようなスライドをつけていることがあるが、あれは発表が長いときに、聞いている人に対してどのくらいの内容が説明されるのか?を知ってもらうためのもの。これによって聞く方がいつまで話が続くのか?と思わずに済む。
発表時間が10分とか短い場合はこういう目次スライドを入れても、時間がもったいないだけである。
後につながらない話はしない
発表を行うときはそのストーリーを考えるはず。たとえば研究発表なら、研究の背景とか動機に始まって、他の研究との比較とか位置づけとかを言った後に、従来の方法の説明をして、本題の自分の研究結果を説明、最後にまとめと今後の展開、という具合。で、基本的にこの流れに乗らない話はしないようにする。聞いている側が「あの話は何につながってるんだろう?」と思うようだとダメ。言いたいことと関係する話であっても、後の話につながっていかないことならそれは省いた方が良い。
つながりがそこで途切れるような話をしてしまうと、かえって全体の流れが分かりにくくなる。「あれ、さっきの話は結局関係ないの?」と、聞いてるほうが混乱する。
主張したいことは何かはっきりさせて、そこからぶれないように
その発表でいちばん言いたいことは何なのか?をはっきりさせる。そして、そのことだけにフォーカスして話を進めるようにする。言いたいことがいろいろあるのは分かるが、時間がない場合はすべて説明しているわけにもいかない。それに、話がぶれると聞いてるほうも「結局何が言いたいのか分からない」状態になってしまう。
また、言いたいことを絞ることで、発表者の信念や哲学が何なのかがはっきりするようになる。あれもやった、これもやった、それも大事、これも必要、というような発表だと、その人が何を重視して取り組んだのか?とかが見えないので、もどかしい感じになる。
同じような項目が何ページか続くときは、全部で何ページあるのか分かるようにしとく
たとえば自分のアイデアが全部で3つあって、それぞれスライド1枚使って説明するようなとき、個別の説明に入る前に全部で3つあることを聞き手に伝えておく。目次を作るのでなく、スライドのタイトルにアイデア1/3、アイデア2/3、アイデア3/3のように、全部で三つあるのが分かるように書いておくとか、最初に「全部で3つあるうちの一つ目は…」というように口頭で言う程度でいい。いつまでアイデアの話が続くかが分かりやすくて、聞き手が安心感を持てる。
聞いてるほうが面白くもないような話はしない。しても簡潔に終わらせる
聞き手が興味のないようなことはストーリーの中に入れない。入れても短く簡単に済ませる。面白くない話はたいてい説明上そんなに重要でないので、省いたって構わない。つまらない話は聞かされるほうもしんどいので、印象もよくない。つまらない話をするなら、そこはさくっと終わらせて、さっさと次にいくのがいい。
スライドの作り方
スライド内の目立つところにそのスライドで言いたいことを1文にまとめて書いておく
分かりやすさのため、そのスライドで言いたいことを一番上か一番下の目立つところに書いておく。ここだけ見れば何が言いたいのかがつかめるように。ここだけを追っていけば全体のストーリーが分かるようになってるといい。
発表のときにも、自分でここを見れば何を言いたいのか思い出せるので便利。
スライドはなるべくシンプルに、どこを見れば良いのか簡単に分かるように
スライド内で見るところが多くなると、聞き手はどこを見て良いか分からなくなり混乱する。なので、図や言葉はなるべく少なめにして、スライドをシンプルにした方がいい。複数の図があるときは、いちばん見てもらいたいところをデザイン的に目立たせるようにする。聞き手がどこを見たらいいのかが分かりやすいようにするのがいい。
また、図をたくさん入れるということはそれだけ説明しなきゃいけないことが増えるということなので、発表時間が短いときには図は少なめの方が有利になる。
図をメインにする。1ページにメッセージと説明図ひとつだけで構成しても十分
説明は図を使った方が分かりやすい。文章の箇条書きが並んでるようだと、全部読まなきゃいけないので理解するのが大変。図を使って、言いたいことがビジュアルで分かるように、聞き手がイメージを描けるようにしてやらないといけない。
この点に関しては、こちらで紹介している本に詳しく書いてあるので、一度読んでおくのもいいと思う。
複数の図を入れる場合は、自分が説明する順番に左上から順に配置する
見るほうはたいてい左上から順番に見ていくものである。なので、説明図が複数あるなら、見て欲しい順番に左上からならべるとよい。説明するときも左上から順に説明していけばいいので、自分でしゃべる内容を思い出しやすくなる。
発表方法
勢いが重要
しゃべるときに声を大きめにして勢いをつけるのがよい。自信たっぷりに説明した方が聞いてるほうも納得しやすい。逆に、自信なさげに説明してしまうと、内容の信憑性を疑われてしまいかねない。そのくらい、発表の雰囲気というのは大事である。聞いてる側の気分にかかわるので、同じ内容をしゃべっていても与える印象が変わってしまう。
抑揚が必要
淡々としゃべってしまうとどこを一番聞いてほしいのか分からないし、眠くなってくる。しゃべるときには大事なところは強調するなど、抑揚をつけたほうが聞き手にも伝わりやすい。
説明している箇所を指示すると分かりやすくなる
しゃべりながらどこを説明しているのかを指示棒とかレーザーポインターで指し示しておく。これだけで、見るほうがどこを見たらいいかが分かりやすくなるので、内容を把握しやすくなる。図や文字が多めになってしまったスライドで特に有効。
次のスライドに移行するときに一言入れる
次のスライドに移動するときに、ストーリーのつながりを意識させるような一言を入れるとよい。これによって流れが分かりやすくなって、内容も頭に入りやすくなる。
まとめ
自己流のところが多々あるので、異論はいろいろあるかと思うw
まあ基本的に「聞き手の気持ちを考えた発表資料、発表方法」を意識するといい、ということが言えると思う。何のためのプレゼンかを考えるとそれは「聞き手に何か伝えるため」なので、聞き手が分かりやすいように、よい印象をもってくれるように発表を行うのがいいんだと思う。
また、発表時間が短いとどうしてもいろいろなことを詰め込んでしまい時間が足りなかったり、無理やり時間内に収めようとして早口でしゃべってしまい分かりにくくなる、ということがありがち。そういうことを防ぐためにも、今回のようなノウハウを活かしていければよいのではなかろうか、と思う。
効果的です
図で考えることのすべてがここにある。が、基本から始めているので、できる人には、ややもどかしいかも。
「図」を「知っている」から「使えるようになる」ための一冊
2冊目に期待
LEDバックライトに関する記事にツッコミ
細かいことかもしれないけどツッコミ。
LEDは従来の蛍光管に比べ大幅に消費電力を抑制できるほか、超薄型化に加え、光にムラがなく、明暗が鮮明で画質の高精細化が可能だ。
まず、LEDでも光にムラはある。LEDバックライトには画面の裏にLEDが並んでる直下型と、画面の端にLEDが並んでるエッジ型がある。直下型の場合画面の裏にたくさんのLEDが並んでいるが、そのLEDひとつひとつの明るさにばらつきがあったりするので、そのばらつきがそのまま光のムラになる。LEDの明るさのばらつきは結構大きいので、むしろ蛍光管よりムラは出やすい。エッジ型だとLEDそのもののばらつきに加えて光を画面全体に導く導光板の性能によってもムラが出る。LEDだから光にムラが無いということは無いし、蛍光管だったら必ずムラがある、というわけでもない。
明暗が鮮明というのも、すべてのLEDバックライトで蛍光管より鮮明ということはない。明暗が鮮明=コントラストが高い、という意味だと解釈すると、バックライトが蛍光管でもLEDでもコントラストは基本的に同じ。違うとすればダイナミックコントラストの方だが、これは同じ画面内での明暗の差ではなく、真っ黒を表示したときと、真っ白を表示したときの明るさの比のこと。同じ画面に白と黒を同時に表示したときの明暗の比(=本来のコントラスト)とは違うので、これをもって明暗が鮮明になるとは言えない。
例外的なのはローカルディミングなどと呼ばれる、バックライトの局所制御技術が搭載されている場合だけ。これなら同じ画面内で明暗の差が鮮明になるが、この技術が搭載されているモデルは各メーカーの最上位機種のみ。LEDバックライトでもローカルディミングは搭載してない機種もある。すべてのLEDバックライトで明暗が鮮明になる、ということは無い。
さらに、画質の高精細化は液晶パネルの解像度で決まってるので、バックライトが蛍光管かLEDかとはまったく関係がない。これは多分、元記事を書いた記者が高精細化の意味を取り違えてるのだと思う。
販売拡大のカギを握るのが、LEDに流れる電気を制御し発光を細かく調整する基幹部品である「LED素子」の確保だ。
LED素子といったら普通はLEDの光ってる部分の部品のことだと思う。発光を調整するのはドライバの役割。月産10億個は多分ドライバじゃなくてLEDの方だと思う。
まあ記事で言いたいこととは違う、重箱の隅つついてるみたいなツッコミかもしれないけど、気になったので。マスコミの人にはこういうところちゃんとしてもらいたいと思うのだけど、やっぱ難しいんだろうか。