ロックスミス問題についてのまとめというか考察

toruotの日記
上の記事を含めてロックスミス問題関連の記事を見てて思うのは、ほんといろんな見方をする人がいるものだなあ…ということ。たぶんそのいろんな見方のポイントは、「道徳に勝る大儀ってあるの?」って事と「ロックスミスの魅力って何?」って事かと。で、ちょっとロックスミス問題についてまとめてみた。


「道徳に勝る大儀はあるか?」ってのはまあ、プラネテスに限った話じゃないんだけど、それってそもそも答え出せない問題、というか文脈でどうにでもなる問題かと思う。大儀とか全体の利益のために一部の人を犠牲にしていいのか?と言われれば、そりゃ良くないに決まってる。じゃ、誰も犠牲にしないように大儀なんて捨てましょうってことになるけど、それでホントにいいのか?と。たぶんそれは大儀ってのが何なのかによっても変わってくる。
たとえばグスコーブドリの伝記のように、みんなの命を助けるために誰か一人犠牲になって死ななきゃいけない、みたいな話の場合。この場合みんなを助けるというところに意義がある。で、道徳的には誰か一人殺すのはどう考えても間違ってるんだろうけど、でもそうしないと全員死ぬわけで。逆に犠牲にするのが嫌だからって全員死んだらそれはそれで美談になるのかもしれないけど、そうもいかないでしょう。犠牲を出して他のみんなが助かるのと、犠牲を嫌って全員死ぬのと、どっちが正しいかなんて決められるものじゃない。
で、プラネテスの場合。宇宙開発の価値は何なのか、それをしなかったらどうなるか? の考え方によって見方が違ってくるんだろう。「宇宙開発なんて何の意味があるか分からん」という人にとってはロックスミスのやってることは単なるエゴで自己満足以外のなんでもなくて、そのために犠牲者出すとかふざけんな、って事になるんだろう。だからロックスミスは激安2000円って話になる。逆に「宇宙開発には大きな意義がある」という人にとっては、犠牲が出るってところは答えの出せない問題になって葛藤するんだろう。


で、「ロックスミスの魅力って何?」っていう話。とらえ方のひとつは、なんの意味があるのか分からんエゴのために人殺しといて、星空背負ってカッコつける人でなし、というもの。魅力なんてない俗物という考え方。宇宙開発に意義なんてないと考える場合は、ロックスミスが事故を起こしたあたりのエゴイストっぷりを見て「最悪なやつ」と思うだろう。いちどそう思ってしまったら、ロックスミスが宇宙開発の意味とか悲しみとか語ったところで「カッコつけて価値を吊り上げる行為」だったり「分かってないやつらに説教たれて気持ちいい」に見えるんじゃないか。
もうひとつは、葛藤とか悲しみとかいっさい切り捨てて目的のために手段を選ばず突き進む人間、というもの。宇宙開発の意義とかとは関係なく、自分のエゴを貫く究極のエゴイストがカッコいいという考え。現実にいたら迷惑だけど、SFだからこういう存在がカッコいいんだ、ということ。


で、自分なりに思うのは、前提として自分が「宇宙開発には意義がある」と考えてるのもあって、ロックスミスって単なるエゴイストじゃないんじゃない? ということ。ちゃんと宇宙開発の悲しみに対峙して葛藤してるんだと思うのだ。
確かにロックスミスが強烈なエゴイストなのは間違いなくて、それゆえに葛藤してるようには見えなかったりするのかもしれないが、犠牲者の慰霊祭とかヤマガタの妹とのエピソードとかラモン博士との会話とかにそういう葛藤してる面が表れてるように思う。単なるエゴイストは慰霊祭とか行かないし、ヤマガタ妹の自殺を止めたりもしないだろう。そのあたりは前回前々回の記事に書いたのでそちらを。それもワガママを叶えるために出たウソって考え方もあるが、それでも「気安く愛を口にするんじゃねぇ」って台詞はウソじゃない。ロックスミスは真の愛を分かってて、気安く口にできるような軽いものじゃないと考えてる。宇宙開発を最前線で推進できるくらいの究極のエゴイストだけど、決してそれだけじゃない愛を知ってる人間。そういうふうに思うのだ。


そういうわけで、ロックスミスは100万円かどうかは結論出せないが、2000円の激安ってことはないんじゃないかな、と思います、ということ。


ロックスミス問題関連の記事のリンクをまとめてくれているところがあったので、感謝しつつリンクさせていただきます。
『プラネテス』話 、ロックスミス問題、まとめ - どどどの日誌