プラネテスについての考察

前回の続きで、プラネテスの自分なりの解釈について書き綴ってみる。

前回ロックスミスの人物像について書いてみた。まとめると以下のような感じ。
人類は苦しみを背負っている。その苦しみから逃れるためには人類は進歩し続け、神にならなければならない。が、進歩し続けることそのものも苦しみ。それでも誰かが挑戦しなければならない。それがロックスミス。進歩するための挑戦の裏に新たな悲しみを生み出している事を知りながら、それでも進歩し続けようとする。その先に真の愛を知るときが来ると信じている。といった感じ。


宇宙開発は誰かが挑戦しなければならないのだが、それ自体が人類に与えられた罰と言えるほど苦しいものだ。その困難にどうやって挑むのか、そのエネルギーは何か、と考えると、それは「ワガママ」なのだ。「ワガママになるのが怖いやつに宇宙は拓けねぇさ」という台詞に象徴されている。かつて宇宙開発に挑んできた科学者や宇宙船員も、一見高尚な理想を説いているが、実は自分の宇宙へ行きたいというワガママを叶えたかっただけ。


そのワガママの結果として人類は進歩してきたわけだが、それでも貧困やテロはなくならない。苦しみは終わらない。真の愛を知ることはいまだできていない。それは「進歩が不十分」なのかそれとも「ワガママだけではうまく行かない」のか。多分両方なんだろうけど、少なくともロックスミスは前者の立場なのだろう。だから犠牲をはらってでも宇宙開発を進める。苦しみを知りながら、逃げ出すことなく対峙する。逃げ出し、神に祈ることを選んだラモン博士とは対照的に。傍観しているだけの本当の神は、いくら祈ったって苦しみを終わらせてはくれないから。ロックスミスという人物を通して、苦しいと分かっていながらそれでも進まなければならない人類の悲哀、みたいなものが描かれている。


一方「ワガママだけではうまく行かない」の象徴として描かれているのがハチマキ。自分のワガママのためだけに突き進んだ結果、彼は冷徹な悪魔のような人間になっていく。邪魔者を消すことに何のためらいもない。テロリストのリーダー、ハキムとなんら変わりない。それは人類の苦しみの根源のようなもので、突き詰めればテロや戦争の原因もそこにある。ワガママの裏にどんな大義名分があっても、所詮はワガママなので結局は新たに苦しみを生み出すだけに終わる、ということ。それを回避するのに必要なものが愛。大きなものの見方を覚えれば、全ての人が自分とつながっていることを知っていれば、真の愛を知っていれば、人類の苦しみも軽減されるはず。


でも、真の愛を知っている人間なんてほんの一握りしかいない。ハチマキも最初は知らなかった。たいていの人間はそんなこと知らずワガママに生きている。だから人類の苦しみは続いてる。
じゃあ、ロックスミスはどうなのか?


プラネテスのポリティカ その3 - 猿虎日記(さるとらにっき)
ロックスミスが事故で多くの人を死なせた。人類の苦しみを終わらせるという大義名分のためなら、300人以上死なせてもいいのか?と言われれば、そんなのよくないに決まってる。それじゃハキムと変わらない。それこそ「愛がない」だろう。
で、ロックスミス自身もそれは分かってる。でなきゃ慰霊のために船が完成した報告なんてしない。なにより、事故で死んだのはロックスミスの仲間であって敵じゃない。大義名分のためとか、大きな価値だとかのために死ねばいいなんて考えていたわけがない。また、それでヤマガタの妹のように苦しむ人が生じることの悲しさもロックスミスは知っている。単にワガママだけで動いているのではない。
確かにロックスミスは大きな価値のために邪魔なものを切り捨てる、批判されるべき英雄に見えるかもしれない。でも決してワガママのためだけに仲間を切り捨てたのでもなければ、切り捨てられる側の悲しみを知らないわけでもなく、そういうものを全て受け止めているわけで、百万人殺して英雄になるというのとはちょっと違うのではないか。


人類が真の愛を知るという理想のために、その理想と正反対の出来事が起こるという事実がある。その事実は事実として受け止めなきゃいけない。ようは、事実を受け止めた上でどうするのか? ということ。ラモン博士はその事実の前に逃げ出し、神に祈る事を選んだ。ロックスミスは事実を受け止め、それでも戦い続けることを選んだ。


宇宙開発という進歩は人類に課せられた罰だ。だから大きな苦しみや悲しみをともなう。でもそれを乗り越えなければ人間は永久に真の愛を知ることはできず、永久に苦しみ続けなければならない。だから大きな悲しみを背負ってでも戦い続ける。ロックスミスに惹かれる理由は、たぶんそんな所にあるんだと思う。決して大きな価値のために300人以上を切り捨てる姿がカッコいいわけじゃないのだ。