デジタル化って

デジタル技術が身の丈を超えるとき (1/3) - ITmedia NEWS
きっと「最近のデジタル技術ってすごいのは分かるけど、ちっともわくわくしないな。うまく使いこなせないし。」って事が言いたいのかと。まあ、確かにそんな気はするけれど…。


デジタルのいいところって、写真でも音楽でも映像でも何でも「データ」として扱える事だと思うのだ。「データ」として扱えるから、「保存」「伝送」「加工」なんかがアナログよりも簡単にできる。PCみたいな機器(べつにPCでなくても計算のできる機器)を使えば、処理が何でも計算でできてしまうから加工が簡単だし、データを圧縮してしまえば小さいメディアにも記録できるし、メディアは任意のものを使えるからコンパクトにもなるし。ハイビジョン映像を電波に乗っける事ができるのも映像を圧縮できるからだし。要するにデジタル化のおかげで、写真やら音楽やらの「扱い」がアナログよりもずっと簡単になったんだと思う。

デジタル化の目的ってそういう、アナログよりも簡単に「扱う」ことだと思う。アナログ機器をデジタルで置き換えて、今までより手軽にするっていうのが今のデジタル化の目的なんじゃないかな。「結局のところ現在のデジタル技術は、アナログ技術の壮大な置き換えを行なっている途中」というのは間違った方向性じゃない。ただ、置き換えが目的だからいまいちわくわく感はないんだと思う。最初のデジカメに液晶モニタが付いてその場で見られるようになった!っていうのは置き換え目的じゃなくて新しい使い方提案だったからわくわく感があったんだろうけど、そしたら次はアナログカメラ並みの性能も欲しいよね?ってなるわけで、そこからアナログとの置き換えを目指す方向に行くんだと思う。置き換え狙いだから性能が必要十分になればそれ以上はいらない、すごいけど別に欲しくない、わくわくしない、になる。そうこうしてるうちにデジカメの利点である「写真の扱いの簡単さ」は当たり前のものになって、純粋にカメラとしての性能を見たときに「結局アナログカメラとできる事は変わらないじゃん」、と思えてくる。そういうのが「おぼろげながら見えかけていた何かを見失ってしまった。」ということだろうか。


でも、デジタル機器を作る側としては、結構楽しかったりもするんだけどね。いかにアナログを超えるか?っていうのは。置き換える以上はアナログ機器よりも上、少なくとも同等の性能がないとダメだし。そこにはそれなりのチャレンジがあったりするはずだと思う。でもユーザー側から見たらそんな事はどうでもいいんだろう。それよりもむしろ「FM音源」とか「コンポーネント信号」とか人間の感覚と合わないもんが出てきてやっかいになった、事のほうが目に付くんだと思う。「デジタルデータの大量消費で感性が磨耗する。」というのはたぶん、そういう人間の感覚と合わないやっかいなものがインターフェースに使われていたりするから使いこなせない、だから人間の感性がそれに追いつかない、感性を発揮できない。ということかと思う。


本来ならそういうやっかいなものはインターフェースの裏側に隠してしまうべきなんだろう。もっと人間の感性と一致するようなインターフェースを用意するべきなんだと思う。けれどそれがなされていないのは、コストの問題だとか、そこまで気が回ってなかったりがあるんじゃないかな。内部の信号を変換して分かりやすいインターフェースを作ることもできるんだろうけど、そうするとその分開発期間も開発費用も必要になってコストがかかる結果製品の値段が上がる。他社と激しい競争を強いられてるメーカーにはそこまでやれる余裕がないのかもしれない。また技術者も、インターフェースよりも内部の信号処理というか、いかに性能を上げるかの方に目が行っていて、インターフェースの事まで気が回っていないのかも。

とはいえ、人間の感性が発揮できないような機器を作っても喜んでくれる人は限られる。機械とか道具は使いこなせてなんぼっていう面があるし、技術的にすごくたって使えなきゃ意味がないし。人間の感覚がいずれ追いついてくるかもしれないけれど、それまではきちんとユーザーをフォローするようなインターフェースというか仕組みを用意しないとダメだということか。それも技術者の役割のひとつだろうね。もっとこう技術の恩恵が感じられるようなものを作らなければ。自分も技術者の端くれとしてそのへんは肝に銘じとかないといけないかな。



ところで、コンポジット信号って輝度信号と色差信号をひとつにまとめたものだから、コンポーネントもコンポジットも輝度と色差で映像を表してる事に変わりはないと思ったのだけど…。どっちも分かり難いんじゃないかと。放送業界だとコンポジットって違う意味で使ってる言葉なのかな。