機械に心があるか?

ちょっと前の話だけど、なにげなくテレビをつけたらターミネーター2がやってた。別に見たいと思ってたわけじゃないけど、つい最後まで見てしまったw こういう分かりやすいアクションものが結構好きだったりするのです。
この映画のポイントの一つは、機械であるはずのターミネーターが人間の感情を理解したところでしょう。機械にできるんだから人間にも希望がある、と締めくくっているし。それはいいとして、人間の感情を理解できて共感できるなら、その機械に心があるといえるだろうか?という疑問をもった。
そもそも心があるとはどういうことなんだろう?我々人間から見て「こいつには心がある」というのは何を基準に判断されるのだろう?
ターミネーターに心があると思えるのはなんでか?ターミネーター自身が「人がなぜ涙を流すか分かった」と言い、ジョンに共感しているから。じゃ、液体金属ターミネーターのほうはどうだろう?やつが溶鉱炉に落ちたときの断末魔みたいなあがき方は、見ようによっては「死にたくない」と思ってるように見える。とするとやつにも心があると思える。
ここでターミネーターから離れて、他のものはどうだろうか。言葉を話さない犬や猫や赤ちゃんには心がないのか?しゃべらないから共感してくれてるのか?とか、感情あるのか?とか確認しようがないけれど、見てれば感情がある、心があるってことはなんとなく分かる。
ということは。相手に心があるかどうかは確かめようがなくて、「あるような気がする」というのを見た目で判断してるだけということか。相手がただの機械で、プログラムのとおりに動いて感情表現のシミュレーションをしてるだけだとしても、それを見た人間は「心があるものだ」と錯覚する。なら、人間の心というのも実はただのプログラムでできている…としても不思議はなくて、そうなると人間と機械(ロボット)の違いは何だろう?という事にもなる。人間も実はたんぱく質でできたただのロボットで、入ってるプログラムがちょっと複雑で高度なだけ…かもしれない。

ゴーストが入ってるかどうかはプログラムの複雑さ、高度さの違いだけだってことか?*1

なにが言いたいのかよく分からなくなってきたけど(笑)、「心」という当たり前と思ってるものも突き詰めて考えるとずいぶんあやふやなものだなぁってことを考えました、ということでw

*1:攻殻機動隊ネタですw