日本メーカーの製品デザインがいまいちな原因その2

先日の記事のコメント欄で、「技術を説明できていない」という原因もあるのでは?という指摘をいただいた。で、考えたこと。


技術者が技術を説明できないというのは、その技術の意味や良さをデザイナーや経営陣が理解できない、ということになる。だからその技術を製品に活かすようなデザインやコンセプトが生まれてこない。


で、これは逆にあてはめることもできて、デザイナーがそのデザインの意味や良さを技術者や経営陣に説明できてない、ということもありえる。だから、経営陣が「そのデザインじゃないだろ」とか言い出したり、技術者がそのデザインを実現させるだけのモチベーションを得られず「そんなの無理」で片付けてしまう。


ようするに、その製品に関わるすべての人の間で、製品のコンセプトが共有できてないことが問題なんじゃなかろうか。


良く考えると、製品のデザインの良し悪しのまえに、製品のコンセプトが必要だ。コンセプトあってこそのデザインであるべきで、単に見た目がオシャレなだけで中身ダメダメでは良い製品とはいえない。逆にコンセプトが明確にあれば、そのコンセプトの実現のために良いザインが必要だということも明確になるだろう。元記事にあった、「デザインより優先されるものがたくさんある」というのも、コンセプトが明確になっていない、コンセプトが共有されてない、というのが一因にあるように思う。


コンセプトを製品に携わる全員で共有できれば、先日の記事であげた制約のいくつかは解消されるのではないか。経営陣、デザイナー、開発、設計、製造、営業など、すべてのセクションでコンセプトが共有されていれば、それを実現させるために協力する意識も生まれるのではないか。であれば、制約を克服するための努力も生まれるのではないか。


そう考えると良いデザインの製品を出すためには、製品のコンセプトが明確になっていることと、それを全員で共有していること、が必要なんだろう。


とはいえ、それってすごく難しいことで。
まず良いコンセプトが生まれなければならない。見た目のデザインなら優秀なデザイナーに任せればできるかもしれないし、機能や性能なら優れた技術者に任せればできるだろう。が、優れたコンセプトって誰に任せたら出てくるのか? 製品コンセプトの専門家っていうものは存在するのだろうか。
また、生まれたとしてもそれを共有するためには全員がそのコンセプトに納得して賛同しなきゃいけない。きっと携わる人間が多いほど、全員が賛同するのも難しくなるだろう。大きい企業になればなるほど、全員の賛同は得られ難いと考えると、大手メーカーからは良いデザインの製品が出にくい、というのも納得できる。


AppleiPodiPhoneを出せたのは、このコンセプトが明確だったことによるんじゃなかろうか。ジョブスが優れたコンセプトを提示し、それを全員で共有して実現に向けて協力する体制ができていたのではないか、という気がする。もちろん、提示されるコンセプトが十分に魅力的だった、ということが最も大事なんだろうが、そのコンセプトゆえにiPodiPhoneのデザインが生まれてきているのだと思う。


日本メーカーがAppleのような優れたデザインの製品を出すために必要なのは、優れたコンセプトを想像できるジョブスのような人間と、そのコンセプトを社内全員で共有できるしくみ、なのかも知れない。ジョブスのような人材いないのであれば、みんなの知恵をあわせて優れたコンセプトを生み出していかなければいけないが、果たして日本メーカーにそれができているのだろうか。

元記事




スティーブ・ジョブズの流儀
リーアンダー ケイニー
ランダムハウス講談社
売り上げランキング: 3582
おすすめ度の平均: 4.5
5 狂気的な情熱
4 個性的な製品をだすアップルの秘密
4 神楽ポイント
5 時代がスティーブ・ジョブズの思想に追いついてきた。
5 心が奮える一冊